ずっと『かっこいい大人』になりたかった。私の理念、人生に対して想うこと

→メッセージがいろいろすぎ?

こんにちは みはなです。



本日は2025年元日。

世の中はおやすみモード全開の日に
自分の人生の理念を記事にします。

過去、ごちゃごちゃ考えてきた結果
ビジネスを始めて気がついた一つの理念があります。


それが『かっこいい大人、人間として強くなる』ということ。これに尽きます。


いま、仕事でダメダメな状態だったり
なんとなくぼんやり生きてる方に

希望の光が差したらいいなと思って書きます。




お金もあるし、時間も自由に使える
自分の大切な人をいつでも助けてあげられるし
いつでも自分のことを労ってあげることもできる。

やりたいことはすぐに挑戦するし
挑戦することから逃げない。


そんな状況を手に入れ、この先もずっとそうして生きていく。
これが私の理念です。



イメージとしては

サマーウォーズの栄ばあちゃん。↓


栄ばあちゃんは、

圧倒的な信念のもと自分を磨き続け当主として最後まで強く生きた。


後世にも自分の想いを引き継ぎ
家系を存続させられるよう努力した。

周りを鼓舞して、世の中を救う手助けまでした。


単純にめちゃくちゃカッコいいです。




頭も良く、お金もある、精神的にも余裕がある。

修羅場を潜り抜けながらも、自分を磨く挑戦をやめない。

毎日を夢中で楽しく生きている。


炎でも纏いながらたくましく戦う戦士のような人間です。



大切な誰かのためになるなら、自分のリスクをとってまで行動し続ける。
変化の恐怖に打ち負けない。




そんな経験を繰り返した人間からは
強さや自信も感じるし、圧倒的な包容力、安心感すら感じますよね。





見栄っ張りでも、大口叩くでもなく

「大丈夫だよ、私がいるから」

そうハッキリと言える強さ。
ずっとそんな姿に私は憧れてきたんです。




しかし私は過去、

好奇心に背を向けて
人と違うレールを走ることを恐れ

挑戦や変化から、逃げてきました。

でも、どうしても変わりたかった。
それにはとある私の経験があります。


変わることを選びたかった、あの「カラフルな日々」みたいに。

↑ここをもう少し具体的に
一番の興味づけ



そんなお話を少ししようと思います。

目次

毎日「夢中で生きた」あのカラフルな日々


私は、小学生の頃から
好きなものを美味しく食べて幸せに過ごす時間が大好きで

中学生の頃には漠然と
将来は「食」に関わる仕事がしたいなぁ。と夢見ていました。

管理栄養士、料理人、パティシエ
栄養学研究、レシピ開発・・・


どれも魅力的だなぁぁ、って
憧れだけで、高校も食品科学科に進学。

(偏差値は45とかだったから、入学はそんなに難しくなかった)
↑そんなに必要ない




あれよあれよと3年過ごし
調理師の専門学校に進学後、新卒で都内のレストランに就職しました。



新卒の1年間は、とにかく夢中で一生懸命に仕事してましたね。辛いこともあったけど、なにより楽しかった。




毎日新しいことが自分に飛び込んできて
冗談抜きで毎日成長を感じてた。




・見たこともない新しい食材
・聞いたこともなかった新しいメニュー
・難しくて覚えるのが難しい新しいワイン
・お店を知ってくださった新しいお客様
・いつも来てくださるお客様の新しい反応
・画期的で新しい掃除方法
・自分が作ったものに対する先輩の新しい感想


とかとか。



・・・なんだろう。



とにかくスポンジみたいに吸収して
それを実行するしかない環境にいて

やればやるほど、自分の視界が広がったし
世の中がいろんなもので溢れているんだってどんどんカラフルに見えていった。




それもあって
もっと世の中のこと知りたいって思ったし

自分はもっと世の中のために動ける人間になりたい、
そう強く思うようになっていったんです。



1年に一回の大切な記念日にお金を貯めて来てくれたであろう学生カップルとか
オフィスが近くて接待でもプライベートでも使ってくださる方々とか
客単価1万くらいだけど、ファミレス感覚で使ってくださった常連の方々とか
ご近所さんでフラッと来てくださった芸能人の方とか
多分、同伴だな〜っていう男性の鼻息強めなお二人とか

某アイドルグループのプロデューサーの方も何度かご来店されたな
女優さんも俳優さんもアイドルの方もモデルさんも芸人さんも、お店の中に結構サインしてくださった。



別に自慢でもなんでもないけど、
もう、ここには書き切れないほどの
たくさんの人のお顔とたくさんの新しい世界を知った。




そして

それぞれの生活を抱えている人たちが
少しでも良い生活ができるような場所を作りたい。


そんな想いが明確に育った経験でした。

たった1年だったけど。私の1つ目の人生の大きな分岐点だったな。


毎日15時間労働が基本。
残業という概念はゼロ。
有給?なにそれ美味しいの?
上下関係はガチガチに厳しい。
ホールもキッチンスタッフもほぼ全員がシェフの席を狙いながら、切磋琢磨の日々。
おまけに私がいたお店は入って9ヶ月間くらい、自分以外揃いも揃って下ネタ大好き男性陣。(これは、まあ、良い思い出です。笑)



そんな中で、私は『お客様が幸せで笑顔になれる食事を提供しよう』と
「夢中」で、先輩たちに早く追いつこうと必死に働きました。


ここまで聞くと


なんだ、みはなデキる人じゃん。
って思ったかもしれないけど、全然そんなことなくて。




「みはな、あの仕込み終わった?」
「みはな明日の賄いなに?」
「みはな、こんな完成度じゃダメだ」
「みはな、今日の営業は全然ダメだった。」
「もっと、こういう感じでやって」



違う。遅い。ダメ。

ずーーーーっと10歳20歳年上の先輩たちから、怒られまくってました。




キッチン入ってる時は
普通に営業中に先輩から足蹴られたり腕つねられたり軽くグーパン食らったりもしましたね。いまでは笑い話ですけど。笑笑




当時は心の中で

「ふざけんじゃねぇ、痛ぇだろうがよ。」
(言葉が汚くてすみません。)

と、思いながら



それでも追いつこうと、いつか追い抜かしてやろうと
めちゃくちゃ燃えてましたね。


いま思えば、当時はその闘争心だけがモチベーションだったのかも。



まあ、叱られたのも何もかも
自分が出来なかったから当たり前の話なんですよ。

目の前にいるのはお客様で、
そのお客様に最高の時間を提供するのが仕事なので。


その最高の時間を提供するために、

言いたくもないのに
お給料もそんなに高くなくてしんどいはずなのに
自分のことを成長させようと、叱ってくれた当時の先輩方には今でも本当に感謝しかありません。

これはビジネスのコンサルでも同じですね。


当時も伝えてたけど、この場を借りて。
本当にありがとうございました。


ん〜、今度美味しいワインでも持ってお店に行こっと。







・・・話がそれましたが



→話が逸れすぎ?


それまでは、

大きな挑戦とか
自分の成長とか

なんか怖いな
面倒だなって思うことから

目を背け、実家でテレビを見て過ごしてたハタチ目前の女が
↑つながる要素がない



「やらなきゃ◯ぬ」「生活できなくなる」レベルの環境に飛び込んで
ひたすら身を粉にして目の前のことをやり続けたら


誰かを助けられる力のある人間でいたい。


そう強く思うようになったんです。




中学の友達にも高校の友達にも
「みはな変わったよねー!」とよく言われましたね。


しかも、こういう険しい道を進んだ瞬間って
ずっと記憶に残るものです。

樹木の年輪みたいなね。

逆に、ラクばかりした思い出は案外記憶からすぐに消える。

私は正直ラクして転職したけど
どんなだったっけ?って本当に思い出せない。


今後も険しい経験は大切にしていきたいです。


ちなみに険しい道をつくるのは案外簡単です。

お金を使いまくるとか
仕事をパッとやめるとか

教材買ったりコンサル受ければお金減るし
仕事は上司に退職届を出すのみ。

できないのは、残念ながらやってないだけだったりします。

やらざるを得ない状況は、今すぐにでも作れちゃう。



そういえばレストラン時代に上司に教えてもらったビジネススキルもめちゃくちゃ多いから、それも記事にしていこうかな。



ほんと、1年でも人間は大きく変われます。



と、まあここまでは険しいながらも順風満帆と思いきや、
その想いが一気に弾け飛んだ瞬間がありました。

夢がブレて、一気に灰色の世界へ堕ちた


それは、明確に変化を感じた日だった。


少し肌寒くなって来ていた、ある秋の曇りの日。

前日も激務で、その日撮った写真を見返すと顔が浮腫んでる。笑


そんな日に、当時のお店のシェフの彼女さんとお会いすることになっていた。

(今ではシェフの奥様。お店ぐるみで仲良くしていて、シェフの計らいで息抜きにいろんな話聞いてみな。と、お会いすることに。)



この日をきっかけに
私の人生がまた大きく動き出すキッカケになりました。


シェフの彼女さんは(このさきNさんとします)
某メディアの営業として(多分聞いたら7割は知ってると思う企業)
都内の中枢でバリバリ仕事をしてた。

Nさんは前職で人材系の会社にも勤めていて
いろんな知見がある聡明(立教大卒)でめちゃくちゃ美人(可愛い系)のみはなが憧れちゃう女性像だった。



スタバでお茶しながら、いろんな仕事のことを教えていただいた。


これからアツくなる産業とか(IT✖︎飲食とかおもしろいよって話とか)
いろんな働き方してる人とか(私は会社員以外にも仕事してるよとか)
こんな職歴から、あんな仕事してる人もいるんだよー!とか



たった2,3時間だったけど・・・

私には1日中その話で持ちきりっていうくらい濃厚な時間だった。




みはなの未来の選択肢が増えた瞬間だった。

それと同時に

「今やっていることの自分の人生にとっての意義がわからなくなった」

要するに、

目標がブレたわけです。
ゴールが不明確になった。
夢が分からなくなった。



希望に満ち溢れた時間に浸りながら、一人暮らしの暗い部屋に帰って将来のことを考えた。


「いろんな仕事してみたいな」
「やっぱり食に関わる仕事はしたいかな」
「でも、今やってる手段以外にも道がたくさんある、のか。」



好奇心と想像力がずば抜けて高かった私は
浮腫んだ顔のまま夜も眠れないほどグルグル考えた。



その時出た結論は、ざっくり「転職する」だった。
Nさんも、仕事マッチングのおすすめサイトを教えてくれていた。


この先
他の仕事もしてみよう
いろんな世界をみよう
いろんな人に接してみよう

ぼんやりそんな事だけ決めて、転職することだけを決めました。


それが良くも悪くも、毎日のモチベーションに影を落とした。


ゴールが霞んだ途端、プツっと糸が切れたようにカラフルだった世の中が灰色に見えるようになった感覚ですね。



なにをしたらいいんだっけ
どこに向かってるんだっけ
あれ、なんで今この仕事やってるんだっけ


転職に不安もありながら心躍らせるのと同時に
レストランでの仕事にどんどん身が入らなくなってしまった。


あれだけ楽しかったのに
毎日成長を感じてたのに


とても、とても苦しかった。


お客様の笑顔は変わらないのに
私はなにをしているんだろう。

この仕事は好きだけど、私はどこに向かって頑張っているんだっけ、、。



このさき、結局なんの仕事をしたらいいんだろう。

自分で考えても、結果が出なかった。
しかもその時は相談は相手に時間ばかりとらせてしまって申し訳ない気持ちが大きくて、それ以上にタダで頼ろうとできなかった。

変なプライドが働いてましたね。



で、悩んだ末に転職エージェントサービスに登録。

自分の経歴だと大した仕事は見つかりそうもなくて
エージェントさんとお話もしたけど・・・


最終的に、自分が今とりあえずできそうな接客の仕事を選んだ。

もはや、その時はそれしかできなかった。
自分に自信もなかったし
激務の中で仕事探しするのもなかなかしんどかった。



でも、職がなくなるのは
生活ができなくなるからもっと恐怖で。



結果、

自分の限界の中で「とりあえずできること」を選んでしまった。



今だからわかるけど
そんなんじゃ一生成長なんてできません。


結局、中途半端な自分に戻ってしまった。


まあ、ラクしようとしたんでしょうね。愚かにも。


ほんと、過去の自分には大声で言ってやりたいですね。
「憧れるけど無理そうなこと言ってくる人の言うこと聞け!相談しろ!」
って。



とはいえ、飲食やめる人は多いし
そこからいろんな仕事する人は多いけど

飲食業界で揉まれて(とくに現場で)
なんとか頑張った、少しでもやり切った経験がある人は
本当にポテンシャルが高いので私のように色々挑戦してほしいなって心から思います。

そんな人にも私が背中を見せられたらいいな。




で、結局

自動車教習所のフロント
商業施設のインフォメーション

を、ゆるゆるっと経験してきた。
これもおもしろい経験だったけどね。


だけど、私の表情はみるみる暗く、口角が下がっていった。




立場上、自分の裁量はほぼなし
オリジナリティは逆に指導される(出る杭は打たれる式)
職場内に目標になる人がいない(無理やり作ったけどイマイチだった)

ねぎらいの言葉はいつも愚痴めいているものばかり

「いつも大変だねぇ」
「疲れるでしょう」

悪気はないしありがた言葉だけど、私が向上心を湧く言葉を言ってもイマイチ響かない。




最初の職場にいた先輩方が
苦しみながらも志高く頑張っていた人ばかりだったからこそ

・仕事終わりの愚痴大会
・お客様への愚痴
・あの人がどう、この人がどう
・最近デートした?

そんな話ばかりに、気が滅入っていった。
私もどんどん毒されていった。



みんな、なんのために仕事してるんだろう。
この仕事、楽しいと思ってやってないの?



不思議で仕方なかった。
でも、それは私も同じだった。



そういう人に話を聞くとみんな同じように

人生に対して明確な目標がなかった。



別に

・この職業に就きたい
・こんな壮大な夢を叶えたい

みたいなことじゃなくても。

・これだけは大切にできるような自分でいる
・こういう人間でいられるように努力してる

とか、そういった人生単位の目標とか信念すらなかった。



「30歳くらいまでには結婚したいかな〜」
「お金ほし〜」

だけ、みたいな。


いいんです、いいんですが



結婚してどんな生活送りたいの?パートナーとどんな経験していきたいの?
お金持って、なにをするの?どこかにいきたいの?なんのためにお金を稼ごうとしているの?

ほぼみんな、答えられない。

みんなしてるし。
結婚はしたいじゃん。

そんな感じ。



やっぱり、なんとなーくぬるっと過ごすだけだと、人生を終えるときに走馬灯が大して長くないような生きかたになってしまうと思うんですよね。


よく聞くけど
大抵の人がそのまま過ごしてしまうから亡くなる時に

「もっと挑戦しておけば良かった。失敗しておけば良かった。あの時ああしてみれば良かった。」

って、最期に後悔の言葉を発する人生にしてしまう。



私もビジネスに出会わなければ
その道を歩んでしまっていたかもしれない。



いま思い返しても
ビジネスを始めるまでの日々は

夏でもどこか肌寒い
目の色が濁った
口角が下がって固まっている

そんな、灰色の世界だったような気がします。
可愛げもクソもない、若いのに年老いたような人相だったな。


いつも年齢は5歳くらい上に見られてた。
あ、それは今もか?

もう一度、あのカラフルな世界を切り拓きたい


と、まあ
そんなこんなで会社員として5年くらい過ごした時に

「コンテンツビジネス」に出会った。


知れば知るほど、学べば学ぶほど
枯渇していた自分のカラーパレットに
色が戻っていく感覚があった。

映画えんとつ町のプペルで
煙が晴れて光がさす瞬間みたいな感覚。

わかる人がいたら嬉しい。

「もう一度、あのカラフルな世界を切り拓きたい」


それを叶える手段としてビジネスが最適解だと知った。
これに関してはまた別の記事にしようかな。


一度は、ワクワクして夢中で一生懸命毎日を過ごした時を経て
そこから「ラク」という名の地獄の灰色世界を味わった。


でも、これからは、違う。


これからは、自分から人生のレールを捻じ曲げまくって
カッコいい人間になる。

挑戦し続ける、誰かのために戦って勝てる人間になる。


生涯こんな自分でありたいです。



だから、

経済的にも
精神的にも

助けられる余裕を充分に作るために行動してるんですよね。




そういえば、仕事でも遊びでも全部同じだな。


仕事はもちろんだけど
遊んでる時も

「これ、あの人に教えたらめちゃくちゃ喜びそう」
「これ、あの人やりたいって言ってたな。感想送ってみよう」
「これ自分がビジネスにしたら、あの人の夢をサポートできるかも」



全部全部、自分の糧になって
誰かのためにいつでも動けるエンジンになっているんですよね。


お節介といえばそうかも知れないけど
実際に相手も喜んでくれることが多い。

だからOK。



そして、そのためには

やっぱりリスクも必要だし、本能的に感じる変化の恐怖は避けられない。

たくさんの修羅場も、さらに経験することでしょう。



これまでにも・・・

1日15時間以上の勤務が基本、残業という概念のない会社で働いたり
先輩からガールズバーでの修行を宣告され4ヶ月間売れない地獄を味わったり(初めてお酒で潰れた)
会社の飲み会朝までコースからそのまま仕事に行くしかなかったり(そこからまた15時間以上労働)


他にもあるけど(笑)
これから先は比べ物にならないくらいの修羅場も経験するでしょう。



いいんだ。それも楽しめるから。
だって私の人生だもん。うまくいくに決まってるじゃない。
っていうマインドでやってるので。大丈夫です。



このさき新しい仕事をしても、住む場所が変わっても
家庭を持っても、家族が増えても

どんな状況であっても同じです。



『人間として強くなる』ことに向かううえで
言い訳なんてしていられません。



その道を外れて諦めることの方が、自分にとって可哀想なこと。

せっかくもった好奇心を
無理やり押さえつけるわけですから。

ご飯一生禁止、みたいなものです。
もう、あの灰色の世界には戻りたくない。



いろんな選択肢を持った上で自分の選択をすればいい。
世の中には選択肢を勝手に狭めて、自然と窮屈を選ばざるを得なくしてる人が多すぎる。

だからこそ、関わる相手も本気の人で。
ちゃんと信念を持って挑戦しつづけられる。

躓いても立ち上がるために努力すると決めている人。
そう思える人のことは全力で支えたいし、全力で向き合います。


そんな人が自分の周りにもっと増えたら、最高ですね。


この1年でかなり増えましたが、
この先はもっと増やしていきたいです。

まあ、そのためにはリスクって本当大事なんですよね。

お金を借りたり、絶対に結果を出さないといけない場所で仕事したり。

どうしよう、怖い、やめたい、嫌だ。
そんな風に逃げてしまうところを挑戦する。
信念に従って次へ次へと歩む人には、本当に魅力を感じます。

純粋にかっこいいですよね。



「今はちょっとタイミングが悪くて・・・」
「稼いでからにします、、!」

ということを言ってしまうだけで
その痛み、経験から逃げてしまうことになる。


私はそんなの嫌でした。

強い人間になろうとしてるのに、へっぴり腰なんて。
ダサいですねー。


でも、


もともと私はずっと「逃げる側」の人間だったんです。
それでも信念・目標を固めただけでも、こんなに変われた。


好奇心はあるくせに面倒くさがりで
なにか始めても、極める、というところまではいかず
いつも中途半端。


大学行くのも、入試面倒だしなーと専門へ。
専門も座学は、すでに勉強していた分野の復習みたいな学校に。
就職は踏ん切りつけて頑張るかー!と入社するも、1年で退職。
その後転職を2度経験し・・・・


あれ、いつの間にか社会人6年目とかになってる。


あれもやってみたい、これもやってみたい
あんな国行ってみたいな、日本のあの場所も綺麗っていうし
最近は〇〇なお店が増えたなー。開拓楽しい。


でも、結局できてない、、?


仕事は?結婚?将来子どもも欲しい。
自分の経験値も増やしたいし、まだ自分の好奇心すら全然満たせてない。


「大切な存在と過ごしたい〜」
「子どもにはいろんな経験させてあげたい〜」とか言いつつ

経済的にも、現実的に身近な大切な1人すら守れないような自分だった。


始めたいと思ったことも始められない
行きたいと思った場所にも仕事で行かれない
あちこち行かれる余裕なんて毛頭ない

ましてや、大切な存在を守る!なんて遥か遠い夢のようだった。




そんなこんなで社会人6年くらいやって
逃げつづけていた自分にもいよいよ嫌気がさしていました。


「余裕がない」
「今は時間を作れない」
「来年からやろう」
「起業とか、大きなお金を稼ぐことは自分とは別の世界線の人がやることだから」

・・・と、

今の私が聞いたら飛び蹴りしそうなくらい
言い訳探しが上手でした。(笑)


自分も周りの大人にも多かったけど
それもこれも結局、変われない自分と向き合うのが怖かっただけなんですよね。

まあヒトの本能だし大抵の人がそうなんだけど。



でも、結局変わらない日常に
いよいよ耐えられなくなったんです。

というか、怖くなった。


この先、結婚て子どもができたとしても

「今のままの私が何を教えられる?」
「今の私が経済的にも文化的にも何を与えられる?」
「自分自身の行きたい場所・やりたいことは全部諦めるの?」

一人で生きていくとしても

「今のままの経済状況でずっと過ごせる?」
「やっていたい仕事、会ってみたい人、叶えられる?」


全部全部、このままじゃ無理じゃん。

病気とかになったら一貫の終わり。


どうしよう。理想はおろか、最低限の生活すら不安になる状況なんて・・・。




だから、決めました。




好奇心は自分で満たしてあげること。
大切な存在は自分がいつでも守れる存在でいること。

昔から好奇心と理想だけは高くて、こういう事は常に頭にあった。曾祖父とか祖母の影響かな。



もう逃げることを、やめる。
諦めることを、やめる。



というか、そんな逃げる自分、飽きた!!!

つまらない!もっと自分を楽しく生きさせてあげよう!と。


最近なんかは

貯金もそんなにないけど250万円のコンサルを追加で受けましたし
かれこれ教材含めてビジネスの知識投資には400万円以上使ってきた。
ありったけの時間も。


そのおかげで、すごく志の高い同志も増えましたし
自分の大切な経験も増えた。

さらにもっと上の世界線も目指せている。
年商億超えとか自社経営なんかですね。

本当に楽しいです。
自分の人生を、自分の足のうらを使って踏みしめている感覚。


怖いこと、不安なこともあるけど
ビジネスと出会って学んでから

全部全部自分の血となり肉となり
身になっていると感じていて

やめられない!もはや中毒です。楽しすぎて嬉しすぎて最高。


ビジネス始めたばかりでも
時間とお金を使えば、いろんな経営者や成功している人にも会えるようになってきたし
これまでテレビとかYouTubeでしか見てこなかった人のパーティに参加もしたり。



大学も出ていないただの専門卒
仕事も接客業一筋で、数字を追う仕事なんてからっきしだった私が
1人5万円の会食をしたり、有名経営者の誕生パーティの席に参加したりできるようになりました。

↓1人5万円のレストラン
https://mihana3.com/highclass-restrant/


これだけでも大きく人生が変わったと思います。
まだまだ、もっと変えますけどね。

それも全て私が挑戦したから。
学ぶことを諦めず、常に上を目指して稼ぎ続けることから逃げない。
変化の恐怖に負けない。

そうやって行動してきたからこそです。

今後も、何歳になっても挑戦し続ける綺麗なお姉さんでいるためにもやります。
誰よりもうまくいく自信があるし、負けません。

あの時のみはなが今ではそんなことになってるなんて!と驚かせたいですし、周囲に誇りを持って話してもらえるような存在になりたいです。



大切な存在、自分が叶えたい理念
守るために、私がやる。

ではまた。

p.s.
アイキャッチの「青いバラ」の花言葉は「上品」です。
が、

青いバラは作ることが困難とされていた過去「不可能の象徴」とされていました。
でも、開発が進み現在は交配が可能になった。

不可能を可能にする。

そんな意味づけを勝手にして、みはなの象徴みたく引用しています。

小話おわり。

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この記事を書いた人

マーケティングに関しての情報発信をしています。

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